「この出会いに乗らないと後悔する」──新卒一期目入社社員の挑戦の源泉とは  チューリング株式会社 |チューリポ 読み込まれました

「この出会いに乗らないと後悔する」──新卒一期目入社社員の挑戦の源泉とは

2024/9/1

この記事に登場する人

e2eチーム

塩塚 大気

Daiki Shiotsuka

東京大学大学院で自動運転関連の研究に携わる。社員数ゼロの頃からインターンとして参画。創業期のメンバー、かつ新卒一期生としてチューリングにジョイン。創業期から自動運転開発のコアメンバーとして開発を支える。

東京の市街地で30分以上、人間が一切介入しない自動運転の実現を目指すプロジェクト「Tokyo30」。このプロジェクトの実現に強い覚悟で取り組むメンバーがいます。

社員数ゼロの頃からインターンとして参画し、創業期のメンバーとしてチューリングにジョインした塩塚さんです。東京大学大学院で自動運転関連の研究に従事した後、チューリングに入社。Tokyo30プロジェクトの成功に向けて奔走しています。

「Tokyo30は自分の人生における大きなポイントになる」と語る塩塚さんにチューリングでの働きがいについて聞きました。

大手通信会社の内定を断り、新卒でチューリングの道へ

ーー大学院ではどんな研究をしていたのでしょうか?

自動運転に関する研究室に所属しており、主に機械学習を活用した画像生成や画像変換についての研究を行っていました。当時はGANs(敵対的生成ネットワーク)という深層学習手法を活用した生成モデリングについて研究しており、研究成果を国際会議で発表したり、国内の自動車メーカーと共同研究したりしていました。

具体的に取り組んでいたのは、データ拡張についての研究です。例えば、東京で雪が降る頻度はあまり高くないので、雪の日の走行データを収集できる機会は限られてしまいます。しかし、画像生成や変換の技術を活用すれば、東京の雪の日の走行データを作れます。これは一例ですが、雪だけでなく大雨などの走行データが集まりにくいエッジケースにも対応できます。

研究において大事だったのは、どれだけ現実世界のデータをカバーできているかです。当時から私の研究はルールベースではなくデータの分布を広げることで、いかにモデルにダイバーシティに富んだ効果的なデータを与えるかという方向性だったので、現在のチューリングと近い研究をしていました。

ーー塩塚さんは入社前に新川崎で実車を使った自動運転のプロジェクトに参加されています。どういったきっかけだったのでしょうか?

代表の山本さんから「とりあえず遊びにおいでよ」と誘われて、新川崎の作業場に行ったんです(*当時チューリングは神奈川県・新川崎駅近くの作業場を間借りしていました)。もともと私は将棋が好きかつ機械学習の研究をしていたので、山本さんのことはもちろん知っていました。

「We Overtake Tesla」というミッションを聞いて、震えたのをよく覚えています。できたばかりの会社で不安もあったのですが、山本さんに一目会ってみたいと思い、何をするかも知らないまま作業場に向かいました。

向かった先には、山本さんと共同創業者の青木さんがいました。青木さんは当時自動運転を研究している身としては最先端を知っている研究者として知っていて、実は青木さんの本も買って読んだりしてました。2人の近くには1台のトヨタのエスティマがあって、「最初のエニグマ(※)として、この車を機械学習ベースで駐車場を1周させよう」と言っていたんです。

※エニグマは第二次世界大戦でドイツ軍が使用していた暗号のこと。それをアラン・チューリングが解読したことが戦争の終結につながったと言われています。チューリングの社名はアラン・チューリングにちなんでいます

その話を聞いたときに、「すごく面白そうで実現したらインパクトがあるな」と思ったんです。ぜひ取り組みたいと思い、プロジェクトに参加しました。ちなみにプロジェクト名は「ブダペスト」でして、これは当時、チューリングが間借りしていた作業場のカレンダーにブタペストの町が写っていたことが由来です。

──実現に向けて、具体的にどういったことに取り組んだのでしょうか?

機械学習モデルを構築するためには教師データが必要になります。まずはデータを収集する作業から入りました。車にカメラをつけて駐車場をぐるぐると運転し続ける必要があったのですが、プロジェクトのメンバーは学生4人と創業者の山本さんと青木さんのみ。運転免許を持っていない学生も多く、なかなかデータを取得するのが難しかったです。

結局、山本さんや青木さんが率先してデータ収集をしてくれていました。急にカメラが壊れてしまい、データが破損してしまうこともありました。それでも、創業者の2人ははまったく動じずに「そんなこともあるよ」と言いながら、ひたすら運転し続けていたんです。その姿を見て、すごく熱意があって誠実な人たちだなと思いました。

ーー最終的に、自動運転で駐車場を一周できたときはどう思いましたか?

一周できたときのことはよく覚えています。初めてモデルをデプロイした日はそもそもモデルを適切に動かすことができず、そこから色々修正する日が続いて、なんとかモデルの精度改善のフェーズまでいき、最終的に一周できた日は車の中でみんなで喜び合いました。目の前で車というハードウェアが動くのが、とても面白かったです。

TURING 自動運転デモ:完全自動運転Lv5 に向けて

動いたとはいえ、最初のうちは車体がガクガク動いてなかなか安心感がなかったので、そこから細かく調整をしていきました。自動運転は実施する日の天気や時間帯によって精度が変わります。秋に撮影した走行データで学習していたので、季節が冬になると運転がうまくいかなくなってしまう。このときは小規模なデータだったのでより影響を受けやすかったのですが、データ収集はとても大事なことなんだと改めて感じました。

データを収集してモデルを学習して、車に載せて制御する。そのフィードバックを返すという一連の流れを最初のプロジェクトで経験できたこともよかったです。プロジェクト開始から2ヶ月ほどで自動運転が成功して最初の資金調達につながり、仲間を増やすこともできたので、すごく良いプロジェクトでした。

ーーチューリングに入社を決めた理由はなんだったのでしょうか。

実は大手通信会社の内定をもらっていて、チューリングに会うまではそこの会社に就職するつもりでした。私は自動運転の研究室にいたのでテスラや中国企業の自動運転技術の開発が進んでいることは知っていて、「日本は勝てないだろうな」と勝手に思っていたんです。

でも、チューリングという会社が日本で立ち上がり、創業者の2人に初めて会って「We Overtake Tesla」というミッションを聞いたとき、とてもワクワクしたんですよね。こんな機会は今後二度とないかもしれないので、チューリングに入るしかないと思いました。

自分の人生で忘れられないポイントになるTokyo30の成功に向けて、全力を注ぎたい

ーー今は「Tokyo30」というチャレンジに向かっています。創業初期の開発を経験した塩塚さんは、その難易度をどう感じていますか?

東京で人間が一切介入しない自動運転の実証実験を行うことは社会的にも大きなインパクトがありますし、エンジニアとしてもすごくワクワクできる目標です。また、学生の頃から自動運転を研究していたこともあって、このチャレンジに望めることにとても高揚しています。CTOの青木さんが「エンジニアがワクワクする組織をつくりたい」とずっと話していますが、本当にワクワクしています。チームにも優秀なメンバーが集まってきています。

人間の運転手による介入無しで東京を30分自動運転するという「Tokyo30」というプロジェクトは非常にチャレンジングです。成功すれば、きっと自分の人生の中でも大きな達成感をおぼえる出来事になると思います。学生時代から「自動運転×機械学習」に取り組んできているので、必ず達成したいマイルストーンです。

──CEOの山本さんが大きなゴールを見せてくれて、それをみんなが信じて進んでいる。そんな感じでしょうか?

そうですね。山本さんの描く技術的方針は普通のCEOでは出せないレベルだと思っています。

また何より私が山本さんを信じているのは誰よりもリスクを取っているからです。チューリングのシード期は共同創業者2人の資産で必要な車を購入していました。また工場をつくったときも常に1番のリスクを取ってリーダーシップを発揮してくれています。外部発信でも積極的に顔を出していて、様々なリスクを取った形を取ってくれるのは頼もしいです。

さらに、決めた方針をただ示すだけでなく、私たちとの対話を通してくれるので、納得感をもって物事を進められています。

ーー過去を振り返って、塩塚さんの原動力になっているシーンはありますか?

※CTO青木とのひととき

社員がまだ4人くらいの時期に、千葉・柏の葉の走行コースで、井ノ上さんと2人でずっとデータを収集していた時が思い出に残っています。その頃は私有地のそこまで大きくない走行コースを自動運転することを目標にしていました。

2人でひたすら走行コースを運転しながらデータを取るので色々なことを話したのですが、覚えているのは、『今は2人でここ(私有地のテストコース)を自動運転しているけど、公道に出れるようにして、そしたら人も集まって、完全自動運転を作ろう』みたいなことを話しました。

今は会社全体の社員数も増え、私が所属するEnd-to-End自動運転チームのメンバーも10人くらいいて、チームとして出来ることも目標も非常に大きくなりました。完全自動運転まではまだまだ道のりは長いですが、今出来ることをやっていくしかないなとあの日の会話を思い出していつも思っています。

ーー塩塚さんがチューリングの立ち上げから今まで、ずっと関わり続けているのはなぜですか?

自動運転をEnd-to-Endな機械学習で実現するという仕事は、チューリングでしかできないからです。それだけではなく、一緒に働く人たちはさまざまなバックグランドを持っており、お互いにリスペクトし合えています。

誰かの仕事がうまく進まないときでも非難することは一切なく、自分がわかることなら教えるし応援します。そして、自分の仕事がうまく進んだときにも成果を独り占めするのではなく、協力してくれた人たちに感謝する。そんな雰囲気です。お互いの成果を褒め合える文化がチューリングならではだと感じます。

ーー「Tokyo30」を成し遂げられたら、どんな感覚になりそうですか?

人生を振り返ったときのターニングポイントのひとつには間違いなくなるでしょう。Tokyo30を成し遂げた後も完全自動運転には程遠いので、そのために自動運転能力を向上させたり、製品としてどう世界に届けていくかを考えていくのも面白いのだろうと考えています。ただ、今はとにかく目の前のTokyo30の実現と成功に全力を注いでいきたいです。

HR立石の編集後記vol.22

HR立石の編集後記

創業期から一貫して自動運転開発に携わっている塩塚さん。彼のこれまでを聞く中でチューリングが大きな夢を現実に手繰り寄せていくプロセスを見れた気がしました。Tokyo30は塩さんや弊社にとっても次の大きな目標ですが、3年後には「完全自動運転に手が届きそうなのはTokyo30があったから」と言えるよう成長し続けていきたいと感じました。

塩塚さんのいるEnd-to-End自動運転開発チームではかなり多くの人材を求めているのでぜひこの夢を一緒に叶えましょう。

ライター:久保

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